2022.09.25 [sun]

憧れのイタリアンファッション

「ファッションの国」として名を馳せるイタリア。国内では毎年、ファッション関連の展示会や見本市が数多く行われています。特に「ミラノファッションウィーク(ミラノコレクション)」や「ピッティ・ウオモ」は日本でも有名ですね。

それにしても、ミラノを歩くビジネスマンの格好良さと言ったら!筆者も思わず二度見してしまうことがありました。
では、なぜイタリア人の装いは素敵なのでしょうか?自由におしゃれを楽しむイタリア人を徹底的に分析しました。



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1.  イタリア人に学ぶ装い

キーワードは心地よさと美しさ

イタリア人は、ファッションを通して自己表現することがとても上手です。
もちろんトレンドはありますが、街を歩いていても同じような格好をしている人はあまりいません。
人それぞれにマイルールがあり、自分の好きなスタイルがあります。

例えば、ジャケットやジーンズなどベーシックなアイテムに、小物で遊び心を加える。
ブランドにはこだわらず、上質なアイテムと上手く組み合わせる。
革靴はオーダーメイドのものを長く履く。
自分の綺麗な脚を生かしてパンツを選ぶなど。

筆者の友人によると、彼女の義母(イタリア人)は会うたびにヘアスタイルが変わっているそうです。
70代後半という年齢にもかかわらず、大胆な髪形にも挑戦しているとのこと。
いつも、お洒落に対する冒険心に満ち溢れていらっしゃるのでしょう。

このように、彼らは自分自身が心地よいと思うもの、自分を美しく見せてくれるものを身につけています
しかも、これはファッションだけに限らず、インテリアやライフスタイルまで一貫していると筆者は思います。

周りの目や評価を必要以上に気にしない。
年齢にとらわれない。
自分に合うものを追い求める。

このようなマインドは、私たちも見習いたいところです。

ポイントは色使いと小物使い

ファッションを自由に楽しむイタリア。
しかし、筆者のような外の者から見ると「お国柄なのでは」と思う項目もあります。

それは、色使いと小物使いです。

まず色使いについて。
1つのコーディネートに入れる色は、多くても3色までです。
全体の統一感を大切にしているので、カラフルな柄物も上手く調和させています。

また、ベーシックな色はイタリアでもよく好まれます。
特に「アズーロ・エ・マローネ(青と茶)」は人気の組み合わせで、多様なトーンで着こなされています。

さらに、イタリア人は小物使いが非常に上手です。
たとえば、靴。
他の欧米諸国同様、イタリアでも室内では靴をそのまま履きます。
したがって、コーディネートは頭から足までトータルで考えられています

カジュアルな服装でも足元がキマッていると、品を感じますよね。
筆者は現地でスニーカーやローファー、ドライビングシューズを履きこなしている人をよく見ました。イタリアの歴史地区などでは石畳の道があるため、歩きやすさの面でも重宝されているのでしょう。

そして、ストールの使い方もこなれています。
一見、上級者が使うアイテムのように感じるかもしれませんが、イタリアでは気軽に取り入れられています。
首に巻くだけでなく、カーディガンのように羽織ったり、夏は頭に巻いてヘッドアクセサリーにしたり。
男女に限らず、気候に合わせてコーディネートのアクセントにしていました。

絶対に譲れないこだわり

イタリアならではのこだわり、それは服やアイテムの手入れです。

筆者がホームステイ先で驚いたのは洗濯です。
「一体何に使うの?!」というくらい、たくさんの洗剤が置かれていました。
洗剤は色や布の種類によって使い分ける家庭がほとんどです。

また、アイロンは欠かさず行います。
しかもタオルやシーツ、中には下着や靴下まで!
理由は、ピシッとしている方が気持ちがいいから。
シワが入った服を着て出ていくのは見た目も格好悪いし、何より耐えられないそうです。

また、靴や洋服は綻びたら修繕をすることが一般的です。
祖父母や親からもらったジュエリーを、リフォームして使うという人もいます。

このように、イタリア人は毎日の身だしなみに気を配るとともに、大切なアイテムを長く愛用しています。

TPOに応じた着こなし

「イタリア人全員がお洒落なのか?」と問われると必ずしもイエスとは言えません。
しかし、「TPOに応じた着こなし」といった面では、筆者は圧倒的にイタリアの方が日本に比べて意識が高いと考えています。

というのも筆者が現地に滞在していた時、夕方以降やオフの日には、思いっきり自分のお洒落を楽しんでいる人たちを見たことがあったからです。
それも世代が上がるにつれて、洗練された着こなしをしている人が多かったように思います。

例えば、上品なレストランでは、プチドレスアップをしている人を見かけました。
女性であればワンピースにヒールを合わせたり、パンツにとろみのあるブラウスを合わせたり。
男性は定番のジャケットはもちろん、ノーネクタイでもエレガントに見えるシャツやニットを選んでいました。
そんな彼らを横目に「もっときちんとした格好をすればよかった…。」と、筆者も後悔をしたことがあります。

そして見た目の美しさだけでなく、当然、天気や気候に合わせて装いは変えられています。
このような装いに関するイタリア人のセンスや知識は、幼い頃より自分の親の姿を見たり、あるいはアドバイスを受けたりして自然と吸収していくのだそうです。

2. イタリアが「ファッションの都」である理由

なぜ、イタリアは「ファッションの都」なのでしょうか?
その理由は、モノづくりの伝統とルネサンスの精神が大きく関わっているからです。

「繊維・衣料産業」は、昔からイタリアを支える主要産業のうちの一つです。
そもそもファッションを表す「モード(modo)」という言葉の語源は、「モーダ(moda) 」というイタリア語です。

そして、この産業の基盤となっているのは「職人文化」です。
イタリアでは中世の頃に「アルティ(ギルド/同業者組合)」が結成され、技術や利益が守られました。
そして彼らは、自治権を持つようになるまで成長しました。

ルネサンスの発祥地フィレンツェでは、服飾文化も大いに発展しました。
そして、16世紀中頃からフィレンツェのモーダがパリに持ち込まれます。
その後ヨーロッパのファッション文化はパリへ、紳士服はロンドンへ移っていきます。
しかし織物やレース、刺繍など繊維素材は依然イタリアから供給されていました。

ルネサンスがヨーロッパ北部に波及していくとともに、17世紀にはイタリアの経済も衰退していきます。
職人の技術も海外に流出していきました。
例えばヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」も、ベネチアのムラーノ島から引き抜かれたガラス職人たちが作ったことで有名です。


イタリアにモーダの風が新たに吹いたのは、第二次世界大戦後以降です。
それまで、ファッションはオートクチュール(高級注文服)が支配していて、一部の特権階級の人たちだけのものでした。

それ以外の人は仕立屋で簡単に作られた服や、大量生産された大衆服を身につけていました。
しかし、1950年に高度経済成長を迎えたイタリアでは中産階級が増え、新しい衣服を求める動きがありました。
プレタポルテ(高級既製服)の需要です。

繊維産業が盛んであったイタリアの北部では、マックスマーラを筆頭に、工場での生産と職人の手作業を融合した新たなシステムを確立しました。
そういった背景から、伝統的な職人技が詰まったイタリア製品が世界中に流通していきました。

そして新しい社会の在り方ができるとともに、ルネサンスの精神が回帰していったのです。
既存の洋服の概念を打ち破り、「美しく着心地の良い服」が生まれていきました。

たとえばアルマーニでは、紳士用ジャケットの肩パッドや裏地などを排除し、女性服に使用されていた柔らかく軽い生地を採用しました。一方で女性服には男性服の端正なラインを取り入れ、活動的に働くキャリア・ウーマンに絶大な支持を得ました。

このように、「メイド・イン・イタリー」には今もルネサンスの精神が脈々と受け継がれています
イタリア人のファッションやライフスタイルが魅力的な理由は、彼らのモノづくりへの伝統と情熱が深く関わっているからなのです。

3. 職人の手仕事に触れる旅

日本では、有名イタリアブランドの製品は比較的手に入りやすいといえます。
しかし、イタリア国内だけで展開しているブランドや、街の小さな工房の製品に触れる機会は限られています。

というのも、イタリアは中小企業・零細企業が国全体を支えており、日本ではまだまだ知られていないブランドや工房は山ほどあるからです。
JETRO海外調査部『イタリア産地の変容(2014年)』によると、国内の大企業数はなんと全体の0.1%でした。

あなたが将来イタリアを訪れる機会があれば、その街の職人の手仕事に触れてみてはいかがでしょうか。
今回はファッションアイテムに絞って、代表的な生産地をご紹介します。

革製品 トスカーナ州

世界最高水準の革製品を生産するトスカーナ州。
その秘密はこの土地の豊富な自然環境にあります。
トスカーナ州を横断するアルノ川の豊富な水と周辺で採れる植物は、牛革を鞣すのに非常に適しているからです。

植物タンニンなめし革協会」に加盟するタンナー(製革業者)が生産した革は、化学物質を使わず、中世から続く伝統的な製法で生産されています。
つまり、手間を惜しまず作られ厳しい基準をクリアした革だけが、本物の「イタリアンレザー」と認められます。

フィレンツェはもちろん、ピサアレッツォシエーナなどでも高品質の製品を手に入れることができます。

ジュエリー ヴィチェンツァ(Vincenza) 、アレッツォ(Arezzo)、ヴァレンツァ(Valenza)、

イタリアの三大ジュエリー生産地は、ヴィチェンツァ、アレッツォ、ヴァレンツァです。
各都市では、金の国際見本市も開催されるとともに、博物館では貴重な芸術品を鑑賞することができます。
ハイブランドをはじめ、代々家族が経営するオンリーワンの工房もあります。

ヴィンチェンツァ Vincenza

ヴェネト州のヴィンチェンツァでは、中世よりヴェネチアの貴族に金細工の技術が高く評価され、今日まで発展してきました。
当時からジュエリーだけでなく、ヴェネチア共和国で流通した金・銀貨も作っていました。
またここには、アンドレ-ア・パッラーディオが手がけた建築物が多く残っています。
近くのヴェネチアを訪れた際には、ぜひ立ち寄っていただきたい街です。

国際宝飾展示会「Vincenzaoro」の様子

アレッツォ Arezzo

エトルリア時代の耳飾り(紀元前530~480年頃)

トスカーナ州アレッツォの金細工の歴史は、紀元前8世紀のエトルリア時代にまで遡ります。
当時から伝わる粒金細工は、あまりの緻密さに言葉が出なくなるほどの美しさです。
その技術は復元されつつありますが、今もまだ解明できない部分も多く存在します。
この街はフィレンツェから1時間とアクセスも良いので、日帰り旅行で訪れるのもおすすめです。

国際宝飾展示会「OROAREZZO」の様子

ヴァレンツァ Valenza

ピエモンテ州にあるヴァレンツァは、かつてイタリア最長のポー川から砂金を集めて工芸品を作っていました。
その後、王侯貴族のためのジュエリー工房が作られ、19世紀にはヨーロッパのジュエリーの一大中心地となりました。

実はあのダミアーニの本社はこの街にあります。
近年「ダミアーニ・アカデミー」も創立されました。
それと同様に、敷地面積1.4万平方メートルにも及ぶブルガリの工房兼アカデミーもあり、イタリアンジュエリーの一大産地となっています。


ヴァレンツァの宝飾品企業リスト

スーツ  ナポリ(Napoli)

カンパニア州にあるナポリは紳士服の聖地です。
14世紀には、世界最古の仕立て職人のギルドが創設されました。
その後、多くの他国に支配されながらも仕立て技術を吸収し、独自に発展したのです。

18世紀当時、イギリスの貴族や中産階級がナポリ周辺の地域に別荘を構えたことを機に、イギリスのサヴィル・ロウのスーツ技術がこの街に伝わりました。

硬くてハリのある生地を使った英国製スーツに対して、ナポリでは柔らかい生地を使用し、立体的で着る人の心地よさに重点を置いたスーツが考案されました。

筆者もかつてナポリの街を散策したところ、ジャケットとジーンズを上手にコーディネートしている人を多く見ました。
世界的にも名高い老舗で、自分だけの一着をオーダーするのも素敵ですね。

https://youtu.be/DHZgMMTjhCI

いかがでしたか?

イタリア国内の主要都市には、ありとあらゆるハイブランドのブティックがあります。
そういった店で買い物を楽しむのも一つですし、職人が直接販売する工房に行くのもまた違った発見がありそうです。

「イタリア人のように」とはいかなくても、普段着にイタリアンエッセンスを取り入れることはできそうです。
秋が深まるこの季節、自分らしい装いをして街を歩きたいですね。

〈参考文献〉
・小林元著(2006年).『イタリアファッション業界の戦略』株式会社東レ経営研究所刊行物「繊維トレンド」7・8月号、9・10  月号、11・12月号.
・丹野郁著(2003年).『西洋服飾史 図説編』.東京堂出版
・主婦の友社著(2016年).『ミラネーゼ スタイル スナップ ―大人ファッション、見習うべきはミラノ』.主婦の友社
・片瀬平太、池田哲也著(2006年).『ナポリ仕立て Sartoria Napoletana -奇跡のスーツ』.集英社

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この記事の著者

アランチャ

イタリア好きのライターです。 15年前に現地を訪れて以来、その魅力に憑りつかれてしまいました。 日本ではあまり知られていない、「ディープなイタリア」を発信します。 夢は、家族でイタリアへ行くこと。 趣味はイタリア語、音楽、映画、レジャーなど。

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