2022.05.20 [fri]

イタリアの「幼児教育」から考えるこれからの子育て

いつの時代も、子育てに関する話題は尽きません。

例えば、イタリアで生まれた「モンテッソーリ教育」や「レッジョ・エミリア・アプローチ」には
昨今注目が集まっています。

またこれらの教育思想を基に、子どものためのデザイン、
つまり子ども用家具や空間作りも近年よく見られるようになりました。

今回はイタリア製品とは離れたテーマではありますが、イタリアと日本の幼児教育を切り口に、
「これからの子育て」について考える機会にしたいと思います。

1.子どもが「主役」-イタリアの幼児教育

①「モンテッソーリ(教育)」


日本でもよく知られている「モンテッソーリ(教育)」は、イタリア初の女性医師である
マリア・モンテッソーリ」が考案しました。

「子どもには生来、自立・発達していこうとする力(自己教育力)があり、その力が発揮されるためには発達に見合った環境(物的環境・人的環境)」が必要である」というのがモンテッソーリの理念です。

幼児期の子どもには、成長に応じて様々な「敏感期」という時期が訪れます。

これは、一定のことに対して感受性が強くなる時期のことです。大人から見れば「集中」や「こだわり」のように見えるかもしれません。

例えば、赤ちゃんが何でも口に入れる時期があったり(「感覚の敏感期」)、ティッシュを延々と出し続ける時期があったり(「運動の敏感期」)することはご存じだと思います。

マリア・モンテッソーリ

子どもたちはそれぞれの時期に、環境から自分に必要なものを吸収し、成長していきます。
大人はそれに見合った援助をしようというのがモンテッソーリの考え方です。

モンテッソーリ「お仕事」の一例:『円柱差し』

次の動画は映画『モンテッソーリ 子どもの家』の予告編です。
フランスの幼稚園の様子ですが、モンテッソーリ教育の中で育つ子どもたちの様子が垣間見れます。

シネマトゥデイより引用-『映画 モンテッソーリと子どもの家』本編映像(本上まなみ、向井理ナレーション)

※動画で述べられている「集中現象」という言葉は、「敏感期」と同様の意味で使われています。

教育の仕事をしている人だけでなく、今では誰でもが知っているようなことでも、
彼女の理論を基にしている事柄はたくさんあります。

例えば、子どもサイズの家具や教育的な玩具、オープン・クラスや縦割りクラス。
新生児からの教育や、教育環境の重要性など。

また、現在は介護の世界でも「モンテッソーリケア」という方法が取り入れられつつあるそうです。
これは認知症の高齢者の方を対象にしていて、主体性や尊厳を最大限に尊重することを目的としています。

具体的には、普段の介護サービスや生活において、モンテッソーリの理論を応用して、
環境を整えて必要な援助だけを行い、生活の質を上げることを目指します。

例えば、利用者の方が趣味活動をする際は、従来であればケガなどのリスクマネジメントのために、
道具は鍵のかかった部屋などに保管してあるそうです。
モンテッソーリケアでは、利用者の方が自ら棚から道具を取って、自分の好きな活動を行えるとのことです。

②「レッジョ・エミリア・アプローチ」

レッジョ・エミリア・アプローチ」は、
第二次大戦後の「レッジョ・エミリア市」において生まれました。

この教育理念を一言で言うと、
「子ども主体で行う創造的・協同的な学び」だと言えます。

原点となったのは、創始者「ローリス・マラグッツィ」の詩である『子どもたちの100の言葉』です。

モンテッソーリのように、これといった決まった教具やカリキュラムはなく、グループで活動を広げていく(「プロジェクト活動」と言われる)ことが特徴です。

先生も「共同学習者」であり、役割はあくまでもサポートや調整をすること。また、親や地域の人々、行政も一緒に街ぐるみで教育に参加します。

ローリス・マラグッツィ

次の動画は子どもたちの学びの様子です(英語字幕有り)。
こんなに小さな子どもたちでも、様々な着眼点があることが分かるとともに、
地域全体が子どもたちの教育に関わっていることが伺えます。

「Centro Internazionale Loris Malaguzzi」より引用-『PIAZZA PIAZZE』

現在、日本でこの理念を導入している園はまだ20校にも満たない状況ですが、
今まさに、都市部を中心に認知が広がってきています。

イタリアは元々昔から地方分権が強く、レッジョ・エミリアはファシスト政権に対する
レジスタンス運動」の本拠地で、市民たちの自治意識が高い土地でした。

1945年「チェッラ村」では、住民たちが戦争で残った石やレンガを使って、幼稚園を建て、
ドイツ兵が残した戦車やトラック、馬などを売って運営資金にしました。
そして、戦後の数年間でレッジョ・エミリアでは女性たちを中心にして、
60にも及ぶ幼稚園が開園・運営されていきました。

当時、教師やジャーナリストとして活動していた「ローリス・マラグッツィ」は一連の出来事に触発され、
生涯、地域の教育活動に精力的に関わっていきました。

1991年に「ニューズウィーク」誌は、レッジョ・エミリアのすべての市立幼児教育センターと保育園の代表として彼を紹介し、園長を務めたディアナ保育園を世界のベスト10校の一つに挙げました。

“ZPZ Partners”より引用-『Scuola sperimentale Loris Malaguzzi』レッジョ・エミリア市の幼稚園

③まとめ(比較表)

上記に述べた2つの教育について表にまとめました。

2.日本における幼児教育の歩み

明治時代より政府の欧化政策の一環として、本格的に始まった日本の幼児教育。

1876年(明治9年)には、「東京女子師範学校」附属幼稚園」が開園しました
(現:「お茶の水女子大学附属幼稚園」)。

この幼稚園は「幼稚園(kindergarden)」という言葉を作り、
世界で初めて幼稚園を開園したドイツの「フリードリヒ・フレーベル」の教育思想を取り入れました。

1890年(明治23年)には、最初の保育園(「託児所」という名称)が誕生します。

この頃から、幼稚園は「教育」を行うところ、保育園は親の就労のために子どもを「保育」するところ、
という目的の違いや対象年齢が明確化されており、それぞれに発展していきます。


大正時代に入ると、教育関係者からも教育の質や教職者の育成について、議論や声が上がるようになっていました。

そんな中、日本の「幼児教育の父」と言われる
倉橋惣三は、フレーベルの教育思想を重視しながらも、「誘導保育」と呼ばれる保育方針を打ち立てました。

「誘導保育」とは、子どもが持つ「自らの内に育つ力」を大切にし、子どもが自発的に自由に遊ぶ中で「自己充実」を目指すという教育方針。周囲の大人が教え導くのは、その自己充実のために刺激を与え、環境を構築することと説いた。

「一般社団法人倉橋惣三協会」HPより引用
倉橋惣三

子どもは自発的な遊びの中から育つ」。
保育者は子ども一人ひとりを見る」。

彼が説いたこの考えは、今の幼児教育の現場でもとても大切にされていることだそうです。

しかし、第二次世界大戦に入り、国家主義天皇制ファシズム)の教育体制づくりを目指すようになった日本では、国旗の掲揚、国歌の斉唱、団体訓練などが保育の現場でも取り入れられるようになり、
子どもたちへの教育も「しつけ」中心の内容へと変わっていきました。

戦後は、連合国の指示の下で、憲法を基に抜本的な教育改革が行われました(1947年「教育基本法」の制定)。

2度の「ベビーブーム」を経て出生児は激増し、高度経済成長にともない女性の社会進出や核家族化が進みました。その結果、1950年代〜60年代は幼稚園・保育園の数が急激に増加しました。

早期教育ブームもあったことから、幼稚園の中には、
教員が主導で「知識」・「技能」を指導するところもありました。

これは後に、行き過ぎた「詰め込み教育」や幼児が「ノイローゼ」で不登校になるなど、
多くの弊害を生みました。

このような反省を活かし、1989年(平成元年)には「幼稚園教育要領」が大きく改訂されました。
「児童中心主義」つまり、フレーベルや倉橋惣三の考え方に立ち返ったのです。

3.「無意識の偏見」や「エゴ」に気づくことの大切さ

未来を託す子どもたちに、私たちができることは何でしょうか?

「不安を感じる世の中だからこそ、子どもたちには豊かで幸せな人生を歩んでほしい。」
このように考える方は非常に多いのではないでしょうか。

個人的な話で恐縮なのですが、筆者の息子もモンテッソーリを導入している園に通っています。

時々、家でも「お仕事」の話が出てくるのですが、

「僕、1番上のボタンはむずかしいけれど、あとは自分でできるようになったよ。」
「ひらがなパズル、すごく多かったけれどがんばって並べたんだ。」
と、嬉しそうに語ります。

大人になった今では何も考えずにできること-例えばボタンを留める動作一つにしても、
幼い頃から取り組み続けた結果であることが理解できるとともに、
それらの積み重ねが子どもの自信に繋がっていることを実感しています。

実は入園前、自分の育った街とは違う環境での子育ては、時に孤独や重圧を感じる時もありました。
そういったこともあり、保育園・幼稚園の見学はとても多くの施設を見学しました。

結果的に、モンテッソーリを導入する園にお世話になっていますが、
今思えば、実際にモンテッソーリやレッジョ・エミリアを謳っていなくても、
それらの要素や共通したことは、様々な園で実践されていたように思います。

「早生まれだから、みんなについていけるだろうか」。
「せめて、自分でご飯だけは食べていけるように育てなくては」。

これまで、そんなことを考えていました。

でも「モンテッソーリ」と「レッジョ・エミリア・アプローチ」に出会った時、
私は自分でも無意識のうちに「偏見」や「エゴ」が働いていて、
子どもを縛っていたのではと思うようになりました。

「ありのままの子どもを受け入れる」、「自分でできるように手伝う」、「たとえ小さなことでも話を聴く」、「ダメなことはきちんと理由を説明する」。「感情的に怒ってしまった時は謝る」。

最近では、このようなことを心がけています(自戒の念も込めて)。

まだまだ親修行は始まったばかりですが、
この2つの教育をヒントにして子どもと一緒に自分自身も育てていきたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

〈参考文献・サイト〉
相良敦子(2007).『お母さんの「敏感期」』.文春文庫
上谷君枝、石田登喜恵(2018).『0~6歳すぐ手助けするより、じっくり見守る 自分で考えて動けるようになるモンテッソーリの育て方』.実務教育出版
https://japan-montessori.org/『日本モンテッソーリ教会(学会)』
https://sainou.or.jp/montessori/about-montessori/index.html『日本モンテッソーリ綜合研究所』
https://www.reggiochildren.it/en/reggio-emilia-approach/『REGGIO EMILIA APPROACH』
https://jirea.jp/『JIREA』

この記事の著者

アランチャ

イタリア好きのライターです。 15年前に現地を訪れて以来、その魅力に憑りつかれてしまいました。 日本ではあまり知られていない、「ディープなイタリア」を発信します。 夢は、家族でイタリアへ行くこと。 趣味はイタリア語、音楽、映画、レジャーなど。

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