ITALIA DESIGN BLOG

2022.06.29 [wed]

“世界一美しいカーレース”、ミッレミリア

イタリアを旅行していると、たびたびレトロな車が高速道路を走っていたり、素敵な街並みに可愛らしいクラシックな車が駐車してあったりします。イタリアと聞くと、フェラーリやランボルギーニ、フィアットなどのイタリア車、通称イタ車を思い浮かべる人も多いかもしれません。

そんな車好きの人々が集う車のレース「1000 Miglia / ミッレミリア」が今年も開催されました!なぜこのレースがそれほど人気になり、“世界一美しい”と歌われるまでになったのか?
大会の歴史や日本での開催など、詳しくご紹介していきたいと思います。

1. イタリア中部をぐるっと回る、クラシック車のリレー

”1000マイル”をイタリア語にした“1000 Miglia / ミッレミリア”は、その名の通り約1000マイルの距離を走るカーレースです。1927年に始まったこの大会は、戦争や事故などで継続の危機に瀕しながらも続いてきた、イタリアを代表とする公道を走るカーレースの一つで、2022年の今年は第40回目となりました。

1000 Miglia 大会ロゴ
引用:1000 Miglia 公式HPより

大会は例年、北の街ブレシアがスタート・ゴール地点となり、ローマを中継地とするルートを3日~4日間で完走するレースとなっています。イタリアの街並みに映えるクラシックカーが立ち寄る街では一眼見ようと観客が集まり、街の一大イベントにもなるようです。

そんな一大カーイベントを主催するミッレミリアの団体は、4つの大きなモットーによって支えられています。

1000 Miglia 公式HPより引用、”1000 Miglia is … “

ユニークネス:有名な場所や秘境がもたらす、忘れられない人生の瞬間を生きることができる

レース:ルートに隠れるさまざまな危険を楽しむことができる、類を見ない旅

美しさ:スタイルの文化。通過する街ごとの芸術的でユニークな魅力的に触れることができる

情熱:伝統を守りながら卓越性の追求をする

ミッレミリア公式HP、About usより引用、抄訳(https://1000miglia.it/en/about-us/)

そして全ての始まりとなったブレシアでは「ブレシア人には血液ではなく、ガソリンが流れている」という神話が語られるほど、ブレシアと車またはミッレミリアの関係は濃く、この街のアイデンティティの一部にもなっているのです。

また、ミッレミリアのレースを2012年から主催するのは、「有限会社ミッレミリア(1000 Miglia S.r.l.)」ですが、この会社を所有するのは非営利団体の「ブレシア自動車クラブ(Automobile Club of Bresica)」です。今ではどこの街にも自動車クラブがあるほどですが、こんなにも大きなイベントを主催できる力を持つブレシア人の車愛がわかりますね!

2. ミッレミリアの情熱と挑戦の詰まったイベントたち

ミッレミリアの大会中には、最も大きなメインイベントの他にいくつかカテゴリー分けされたイベントレースも行なわれているので、少しご紹介いたします。なお全カテゴリーのレースはメインレースと同様、6月15日〜18日に行われました。

1000 Miglia Green


“ミッレミリア・グリーン”と題されたカテゴリーでは、代替燃料車のレースが行われます。

全世界が問題を呈している環境問題の観点から見た時に、車、ガソリン、排気ガスなどといった問題は、車を扱うミッレミリアにとっても積極的に取り組みたい課題であることは間違いありません。

持続可能なモビリティを追求するために、レースの他、自動車産業やメーカー、エネルギープロバイダーなどを招いたトーク“Green Talk”なども同時に行われています。

またこうした活動からロンバルディア州からの資金提供も受け、電動自動車の部品開発や電気自動車への移行を促進する活動などの一役を担うなど、車の新しい変化にも柔軟に対応、追求している様子がうかがえます。

1000 Miglia Experience


“ミッレミリア・エクスペリエンス”では、これまでの経験や知識などを集結した、最も有名なビンテージカーやスーパーカー、ハイパーカーなどが集められ、約30台の高級車が4日間のレースを行います。

期間、コースともにメインイベントと同様ですが、トラックに沿って設置された70以上のタイムトライアルが最大の見どころとなっています。

FERRARI TRIBUTE 1000 MIGLIA


次のカテゴリーはイタ車好きにはたまらない(?)、“フェラーリだけのミッレミリア”です。

今回は全124台が主にヨーロッパのドライバーたちと熾烈な戦いをしました。1958, 1959, 1961年に行われたラリー形式のレースでは、全てフェラーリが優勝するなどの成績を残したフェラーリならではの、格式のあるレースです。

1000 Miglia Warm Up


最後は少し変わったカテゴリーですが、“ミッレミリア・ウォームアップ”と呼ばれるものです。このレースは、外国人ドライバーのためのトレーニングを目的としており、2018年からアメリカで開催されています。

メインのレースのためのテクニックを学びながら、アメリカバージニア州ミドルバーグとワシントンDCの道路を3日間走るレースとなっています。2022年は10月18日から23日に開催が予定されており、車の製造年ごとに振り分けられたクラスが1日ごとにトレーニング、アメリカカップ1日目、2日目、3日目とレースが行われる予定です。

これらの他にも、イタリアのアルプスの山を走る冬季イベントや、美しい海の街ソレントを走るレースも開催しており、車好きが年中飽きることのないイベントに溢れています。

3. およそ100年続くカーレースの歴史

ミッレミリアのカーレースのそもそもの始まりは、1899年に開催されたレーシングカーレースがブレシアを通過したところからとされています。その魅力にとりつかれたブレシアは、なんと同年内にブレシア独自でスピードレースを開催してしまうのです。

1904年にはブレシア・クレモナ・マントバ・ブレシアを結ぶ、ブレシアサーキットを開催しました。1904年に創設された「l’Automobile Club di Milano(ミラノ自動車クラブ)」の支部に過ぎなかったブレシアが、1926年11月には「l’Automobile Club di Brescia(ブレシア自動車クラブ)」を設立した当時の勢いと情熱は、今も引き継がれているのかもしれません。

1927年からブレシアの”世界一美しいレース”と親しまれるミッレミリアは、4人の男性たち;ジョヴァンニ・カネストリーニを訪ねたフランコ・マッゾッティ、アイモ・マッジ、レンツォ・カスタニェートが提案を持ちかけたのがきっかけと言われています。イタリアなのに“なぜマイル”?とお思いの方も多いかもしれませんが、これはフランコがアメリカへの旅行から戻ってきた時に提案した名前だと言われています。

Franco, Aymo, Giovanni, Renzo
引用:1000 Miglia 公式HPより

記念すべき第1回目は、雨の降った1927年3月26日13時スタート。ブレシアからローマまでを結ぶ八の字のルート、約1600km=1000マイルでした。参加者は77名、うち2名が外国人。55台が完走、22台がリタイアし、優勝者はブレシア出身の2人組選手が乗ったO.M. 665 Superbaの、大会記録21時間4分48秒、77.238km/h。大成功を収めた1回目のあと数年間はトラックや体制などの改良が行われ、他の様々な町も通過できるように13回もトラックが変更されたと記録されています。

1928年のレースポスター
引用:1000 Miglia 公式HPより
1929年のレースポスター
引用:1000 Miglia 公式HPより
1930年のレースポスター
引用:1000 Miglia 公式HPより

1938年にはボローニャで大事故が発生しました。Lancia Apriliaが道路から外れ群衆の中に突っ込み、子供7人を含む10名が死亡、他23名が負傷する大事故でした。当時の大統領ムッソリーニは、公道でのスピードレースを禁止にせざるを得ませんでした。

大会は事故を受けて一時休止になりましたが、戦争が始まった1940年に再び開催されたのは、「Gran Premio di Brescia delle 1000 Miglia」という、ブレシア・クレモナ・マントバを結ぶ三角形を9周するルートです。その後1941~1946年は第二次世界大戦のため中止を余儀なくされました。

1957年にも再び悲劇が起きました。マントバを通過中のフェラーリ335Sのタイヤの破裂事故が起き、スペイン人ドライバーが命を落とすほか、9人の観客を巻き込む事故が発生してしまいました。再びレースへの抑制が行われ、事故後、フェラーリの創設者エンツォ・フェラーリは数年間続いた裁判で罪を問われ続けましたが、結果的に無罪となりました。

その後もなんとかしてミッレミリアを続けようと、速度が出せる短距離とゆったり行く長距離の区間を交互に設けるなどして、平均速度50km/hで走行できるレースを試行錯誤しながら考案していきました。その結果、アルファロメオ、ランチア、フェラーリなどのイタリアスポーツカーブランドが次々と参加また勝利し、ミッレミリアは世界中で有名なカーイベントになっていきました。

1982年には最初のレギュラーレースが行われ、ミッレミリアの再制定が組織されました。この頃から大会のメイン会場は、ブレシアの中心でもあるヴィットーリア広場になっていったようです。またかなり総力を上げて行なったため、全六大陸から約300台もスタートに集まり、参加希望者は600人以上、1500人を超えるジャーナリストが集まったほどと記録されています。隔年で開催された数大会後、1987年より毎年5月に行われるようになりました。

ヴィットーリア広場
引用:1000 Miglia 公式HPより

その影響力はイタリア・ヨーロッパだけにとどまりません。1991年には“Amici americani della Mille Miglia”がアメリカで誕生し、90年代よりCalifornia Milleというモーターショーを開催しています。1992年にはその波が日本まで到来、“La festa mille miglia”が開催され、1996年には40年代にアルゼンチンで行われていたレース復興のため、イタリアとアルゼンチン共同で行なった”Mil Millas sport de la republica argentina”が開催されました。

公式は、ルート変更や総距離のギャップなどがあるため毎年の時間記録は正確には比較できないと謳っていますが、毎年の優勝者も長年記録されており、車好きのファンたちにはF1と並ぶほどの人気と注目を集めています。

4. 日本での開催

「1992年に“La festa mille miglia”が日本で開催」と前述したとおり、ミッレミリアは日本との繋がりも深いイベントでもあるのです。

ミッレミリア日本のHP
引用:ミッレミリア日本HPより

’92年に開催された日本のイベントでは、イタリアのミッレミリアに出場した50台のクラシックカーをヨーロッパやアメリカから空輸で運び、日本からの参加10台を合わせて、全60台で開催されました。

また1997から2010年の間は “La Festa Mille Miglia”が毎年秋に開催され、日本国内からの出場者を中心とした、当時参戦した実車とその同型車のみが参加可能なクラシックカーレースという形でした。堺正章、近藤真彦、ジローラモなど有名芸能人も参加したと記録されているこのレースは全日程3泊4日で、東京原宿・明治神宮をスタート・ゴールとし、福島県や栃木県などを回る北上ルートでした。

2011年、2012年には東日本大震災の影響で見合わせ・ルート変更や大会名などが変わりましたが、2013年以降本国との再契約などがあり、”La Festa Mille Miglia”として再び開催されるようになりました。体制や開催内容などは変わらないものの、特別枠で日本車の参加枠が設けられるようになりました。駐在イタリア大使が招かれるなど日伊交流のイベントとしても盛り上がりを見せますが、毎回100台近い参加台数を集め、海外からの参加者も多いとされています。

2021年のレースの様子
引用:ミッレミリア日本HPより

第25回目を迎える今年2022年は、9月16日~19日に開催が予定されています。ルートは東京・原宿・明治神宮~福島県裏磐梯~栃木県日光市~千葉県成田市~東京・原宿・明治神宮、1都8県の計約1350km。参加資格車は「1919年~1967年の間に製造されたオリジナルの車」とされています。日本独特な風景の中をクラシックカーが走る姿、楽しみですね!

そして、日本でもサブイベントが行われています。“LA FESTA PRIMAVERA”と呼ばれる春のレースは2009年に始まり、今年2022年で13回目を迎えました。4月15日から19日の間で、名古屋市・熱田神宮 ~ 三重県志摩市 ~ 和歌山県白浜町 ~ 兵庫県淡路市 ~京都府京都市の2府5県、約1250kmを走行、58台が参加しました。

実は筆者、この期間中にたまたま京都に居合わせ、京都・花見小路を観光している際にクラシックカーの行列が横を通り過ぎていきました。京都らしい街並みに味のあるクラシックカーがおしゃれに走っていくのをみて、全く車に詳しくはない筆者もその魅力に引き込まれました。

5. 旅程と結果

第40回目となる今年は、全4日間、ブレシアから南下、ローマを通過し北上するルートでした。6月にもかかわらずすでに気温30度前後の日々が続くイタリアですが、425台もの車が参加しました。

ブレシアを6月15日に出発したドライバーたちは、まずガルダ湖に向かった後、マントバを通過しイタリア東側のセルビア・ミラノで1日目を終えました。2日目はサン・マリノ、トラジメノ湖を通って最終ローマまで行き、3日目には再び北上。シエナなどイタリア中部を通過し、パルマまで辿り着くと、最終日である4日目にはパヴィア・モンツァ・ベルガモを走って、ブレシアまで戻ってきました。

今年の大会優勝者は、1929年のアルファロメオ6C 1750 SSザガートに乗った、46番アンドレア・ベスコとファビオ・サルビネッリ!イタリアらしい真っ赤な車体、可愛らしいですね!

世界的に有名になった“世界一美しいカーレース”、ミッレミリアをご紹介しました。イタリア!といえば食べ物や音楽と並ぶほど車も有名ですが、スポーツカーやスーパーカーの原点ともなるクラシックカーたちがずらりと並ぶ姿や、初夏のイタリアの街を走り抜けていく姿はまた違ったイタリアの一面を見せてくれます。黄色い街並みが印象的なイタリアの街々で駐車してあるフィアットなどを見かけた際には、ぜひイタリア人の車に対する情熱を思い出してください。そして6月頃にイタリアにお越しの際は、ぜひ写真に収めていただきたいものです。


〈参考サイト〉
https://1000miglia.it/ 『1000 Miglia』
http://www.lafestamm.com/2022/index.html 『La Festa Mille Miglia 2022』
https://it.wikipedia.org/wiki/Mille_Miglia 『Mille Miglia Wikipedia』

Author of this article

MAI

4th year in Italy. He lives in Bergamo, a city in the north that is also a world heritage site. We will tell you about fresh local experiences.

Product category CATEGORY