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ITALIA DESIGN BLOG
2022.07.15 [fri]
ダンテ・アリギエーリは、長編叙事詩『神曲』を作ったことで有名ですが、彼は一体どのような人生を過ごしたのでしょうか?
もしかすると『神曲』自体もイタリアの古典ですから、「難しいのでは」と考えられる方もいるかもしれません。当初は筆者もそうでした。
実はトム・ハンクス主演の映画『インフェルノ』の原作も、『神曲』から着想を得て作られており、『神曲』は今のSF・ファンタジーの源流ともなったと言われています。
「ぜひ皆さんにも『神曲』の世界を旅していただきたい!」
ということで、この記事ではダンテや『神曲』についてざっくりと、分かりやすく解説いたします。
この記事の目次:クリックで移動
ダンテの代表作『神曲』は長編の叙事詩で、イタリア文学の最高峰と言われており、その後のイタリア・ルネサンスの先駆けとなりました。
元々、ダンテ自身は『神曲』を“Commedia”(喜劇)と題しましたが、後に彼を賛辞したボッカッチョによって“Divina”(神の)を付け加えたことにより、“La Divina Commedia”(神聖喜劇)となりました。
さらに、この作品が日本に入ってきた際に、かの森鷗外が『神曲』というタイトルに訳したのです。
では、『神曲』が現在も高く評価され、読み続けられるのはなぜでしょうか?
考えられる理由を3つ挙げてみました。
①ファンタジックなストーリー
まずは、文学としてシンプルに「面白い」ということが、多くの読者を惹きつける理由ではないでしょうか。
そして、古代ギリシャ・ローマ、中世キリスト教の解釈、歴史、哲学など、一作品で様々な知識を得ることができるのも、『神曲』の魅力だと思います。
簡単にあらすじをご紹介しましょう。
次に訪れた「煉獄(れんごく)」は山になっており、上に登っていくにつれて罪が浄められていきます。
七つの罪を浄めたダンテは、山頂でついにベアトリーチェと出会い、ウェルギリウスに代わり彼女が「天国」へダンテを案内することになります。
聖人たちによる数々の口頭試験を乗り越えたダンテは、天に昇っていきます。
そして、ついにダンテは光の輪に照らされ、すべては神の愛によってつくられ、動かされていることを知ります。
皆さんはどんな感想を持ちましたか?
筆者はファンタジックなストーリーから設定まで、非常によくできているように感じました。
地獄は罪状別・罪の重さによって様々な罰を受けています。
これが悲惨そのもので、ダンテはよくぞここまで考えたなと想像力の豊かさに驚きました。
また罪を浄める世界「煉獄」の存在は初めて知りました。
一方で、ダンテの個人的な感情も読み取ることができて、これがなかなか面白いのです。
実在した教皇、自分の師匠や同僚も登場しますが、色々な理由でみんな地獄に落とされていました(怖いですね…)。
②詩としての緻密な構成と言葉の美しさ
『神曲』は非常に数にこだわっており、詩の組み立てを通して「キリスト教精神」を表しています。
例えば、1は唯一の神を、3は父と子と精霊は一緒のものであるという「三位一体」を指します。
前項で紹介したストーリーは3部作となっており、地獄篇 (Inferno)、煉獄篇 (Purgatorio)、天国篇 (Paradiso)で構成されています。
そして、それぞれ34、33、33と合計で100の詩で構成されています(※34は1+33という定義で、1はイントロダクションの役割)。
さらに100の詩はすべて3行ずつの脚韻で支えられ、1つの意味を成すパートとなっています(三行連句)。
また1行は11音節(音)でできており、1行ごとに脚韻を踏んでいます。
そして同じ脚韻が1行おきに3度繰り返されています(三韻句法)。
以下は冒頭分です。この規則を最後まで続けたというのが驚愕ですよね。
こうした綿密な構成によって、美しい詩のリズムと音が生まれました。
③新しい言葉「イタリア語」での執筆
イタリアでは、古代ローマ時代の頃「古典ラテン語」が公用語でした。
その後、各地で派生しそれぞれの言語が生まれますが、中世になっても聖書や公文書などの文語はラテン語が使われ続けました。
その結果、ラテン語が教会関係者などの権力の源泉となってしまっていました(ラテン語は現在でも、バチカンで文書や祈りの言葉で使用されています)。
しかし、ダンテは口語であった「イタリア語(当時のトスカーナ方言)」で『神曲』を書きました。
これは非常に画期的なことだったのです。
おそらく、彼はより多くの人が作品に触れられることを望んだのでしょう。
後に標準イタリア語の基礎を作ったダンテは「イタリア語の父」とも言われています。
現在のイタリア語話者でも、『神曲』中の9割の語彙が理解できたという調査結果が出ているそうです。
また日本人が学校で『枕草子』や『方丈記』を習うように、イタリア人は必ず『神曲』を学ぶとのこと。
つまり『神曲』はイタリア人なら誰もが知っている文学なのです。
①「愛した女性は1人だけ」-少年の恋心がすべての始まり
1265年、日本では鎌倉幕府北条氏が執権を握っていた時代。
イタリアはフィレンツェの小貴族の家で、ダンテは生まれました。
彼は、9歳の時に出会ったベアトリーチェという女性に一目惚れをします。
そして青年になった18歳の時、彼女と再会を果たし(会釈のみだったそう)、彼の恋心に火がつきます。
しかし、その後ダンテが彼女にアプローチをすることはありませんでした。
結局ダンテは想いを打ち明けることはできず、お互いに親が決めた相手と結婚しました(この時代は一般的なことでした)。
さらには、ベアトリーチェは24歳という若さで亡くなってしまい、彼は絶望の淵に立たされます。
彼女の死後、ダンテの想いは精神的な愛へと昇華されていきます。
純粋な少年時代に出会ったベアトリーチェの存在は、特別そのものだったのでしょうね。
②「若き政治家の敗北」-30代半ば、闘争に巻き込まれ流浪の身に
ダンテは、ラテン語や哲学、修辞学など、幅広い教養を身につけていました。
名門「ボローニャ大学」卒業後、祖国フィレンツェを愛する彼は、フィレンツェが外部の国と戦った際も騎兵隊として参加しました。
この頃北イタリアでは、教皇派と皇帝派に分かれて政治闘争が繰り広げられていました。
小貴族出身のダンテの家は、代々教皇派の中の白党を支持しており、彼も市政に加わるようになっていきます。
そして1300年、ダンテは白党の最高行政機関を構成する、三統領のうちの一人に選ばれました。
今で言うと「総裁」のポジションです。
ここまで、彼のキャリアは政治家として順風満帆のように思えます。
しかし、翌年彼がローマに特使として派遣されていた間に、同じ教皇派内部の黒党が政変を起こし実権を握りました。
そして1302年、本人不在の欠席裁判で「汚職」の容疑で有罪、「死刑宣告」を受けます。
これは「フィレンツェ共和国」からの追放を意味し、彼は亡命せざるを得ませんでした。
まだまだ働き盛りの30代半ば、妻も5人の子どももいたのです。
まさかの人生、どん底に落ちてしまったと言っても過言ではありません。
③「人生を言葉に託して」-逆境の中から生まれた『神曲』
当初は故郷に戻ることも望み、政治の転変も試みましたが、同志とも意見の違いにより決裂、孤独の身になってしまいます。
そして、彼は各地を転々と旅し、有力者のもとに身を寄せたり、都市国家同士の交渉のための使節として働きながら生計を立てます。
代表作『神曲』は、この時期(1307年頃)から執筆が始まったと言われています。
1315年フィレンツェは恩赦を出し、罪を認めることを条件に、ダンテにフィレンツェに戻るきっかけを与えましたが、彼はこれを拒みます。
そして、フィレンツェを追放されてから、ダンテが故郷に戻ることは二度とありませんでした。
晩年、彼はラヴェンナの領主に招かれ、自分の子どもを呼び寄せて執筆活動を続けました。
1321年、彼はついに「天国編」を完成させます。
しかしその直後、外交使節としてヴェネチアに派遣された際に、マラリアに罹患してしまい、残念ながら56歳の生涯を閉じました。
④「罪人から英雄へ」-ダンテ死後の『神曲』の認識
14世紀にはまだ活版印刷の技術がなかったものの、彼の死後も『神曲』は写本により様々な人々に読まれていきました。
優れた作品だという評価もあれば、厳しい批判もありました。
というのも前項で触れたように、それまで活字は古代ローマ時代から続く「ラテン語」で書くことが当然のことであって、イタリア語は「俗語」とみなされていたからです。
また『神曲』ではギリシャ・ローマ神話などの人物も登場します。
これに対して保守的な神学者は、「異教のものを取り入れているため、キリスト教精神から反する」という意見を持っていました。
つまり、それまであった伝統的な文学とは違い、『神曲』は型破りで斬新なものだったのですね。
しかしながら、徐々にダンテの功績は人々に受け入れられていくようになります。
まず、彼を賛美するボッカッチョの尽力により、亡くなったダンテの「名誉回復」が遂げられました。
そして15世紀中頃、ルネサンス最大の立役者ロレンツォ・デ・メディチの時代に、ダンテは非常に高い評価を得ました。
民族意識が高まる中で、以前は俗語とみなされていたトスカーナ語が奨励され、『神曲』の詩と言葉が「模範的なイタリア語」として認められるようになったのです。
また古典古代の研究がこの時期に盛んに行われるようになりました。
マルシリオ・フィチーノなど、プラトンの思想とキリスト教の神学が結びついた「新プラトン主義(ネオプラトニズム)」が提唱され、『神曲』はこれと一致するという見解がなされました。
「新プラトン主義」の理念とは、人間を含め「万物は神の愛によって作られたものであり、神の愛こそが全ての源だ」という考えのことです。
そして、「神と封建社会を中心とした世界」という思想から、神の愛が作った「人間」を中心とする思想(人文主義)へと変化していきます。
あの有名なルネサンスの3大巨匠(ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ)たちも『神曲』を熱心に読んだそうです。
中世以降、都市国家や王国で分裂していたイタリアでは、19世紀に統一運動が行われ、1861年にイタリア王国が成立しました。
それと同時に「言語の統一問題」に関する大論争が繰り広げられました。
というのも、それまでイタリア各地域で話されている言語はバラバラだったからです。
その際に、ダンテの功績が改めて注目され、最終的に「トスカーナ方言」がイタリアの「標準語」として採用されました。
ダンテ本人も、自分が亡くなった後にこんなことになるなんて想像がつかなかったでしょう。
いや、天国からずっと見ていたから、彼の思い通りだったかもしれませんね。
『神曲』を読むのは「なんだか難しそう」と思ったあなた!心配ご無用です。
ここからは、おすすめの書籍や映画などをご紹介いたします。
皆さんそれぞれに合った方法で『神曲』に入門してみてください。
①『ドレの神曲』
訳・構成:谷口江里也
挿絵:ギュスターヴ・ドレ
出版:宝島社、初版1996年
『神曲』は様々な人によって翻訳されており、書き方も様々です。
筆者もどれが1番読みやすいか悩み、実際に色々なものに目を通してこの1冊を選びました。
全てのページに掲載されているドレの挿絵が美しく、詩の内容を具体的にイメージしながら読んでいただけるかと思います。
訳も全く難しくなく、まるで小説のように読みやすいのでおすすめです。
②ダン・ブラウン『インフェルノ』
こちらは、原作や映画をご覧になった方も多いのではないでしょうか。
筆者は映画を観ましたが、脚本には『神曲』の特に「地獄篇」の内容が、ふんだんに取り入れられてい面白いです。
もちろん『神曲』を読んでいなくても理解できるので大丈夫です!
フィレンツェを主な舞台として、次から次へと展開していくストーリーに目が離せなくなるはずです。
③永井豪『ダンテ神曲』
『ダンテ神曲 時獄篇・上』『ダンテ神曲時獄篇・下』『ダンテ神曲 浄罪編・天国編』の3部作です。
『デビルマン』、『マジンガーZ』、『キューティーハニー』など数多くの名作を生み出している漫画家、永井豪氏が描き下ろした作品です。
筆者はまだ手に入れられていませんが、次はこちらに挑戦したいと思います!
④クラシック音楽
音楽がお好きなら、クラシックから『神曲』の世界に入るのはいかがでしょうか?
かの有名な音楽家たちもダンテの著書を愛読しました。
曲を聴きながら作品を読んだら、臨場感がさらに増していいかもしれませんね。
◆リスト『ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲 』1837年
リストの独奏曲集『巡礼の年』中の一作品です。
リストもダンテの愛読者であり、この曲は『神曲』の「地獄篇」からインスピレーションを得て作られました。重厚なイントロが印象的で、地獄の恐ろしい様子がありありと感じられます。
◆リスト『ダンテ交響曲』1856年
『ダンテ交響曲』はリストが『ファウスト交響曲』の次に発表しました。
当初、『神曲』と同じように三楽章の構成にする予定でしたが、第一楽章『地獄』、第二楽章『煉獄』のみとしました。
というのも、友人であるワーグナーの「天国を音楽で表現するのは不可能だろう」という意見に納得し、採用したからだそうです。
以下の動画は、ギュスターヴ・ドレの挿絵とともに展開しています。
『神曲』の場面と曲の展開が一致されているので、非常にリアリティがあります。
◆チャイコフスキー 交響詩『フランチェスカ・ダ・リミニ』
「フランチェスカ・ダ・リミニ」は「地獄篇」に登場する女性の名前です。
チャイコフスキーによるこの楽曲は、二人の恋人フランチェスカとパオロの悲恋を描いていています。
『神曲』でも人気の高い場面で、二人は「第二の谷」で、互いに抱擁しながら黒い風に永遠に飛ばされ続けています。
◆ラフマニノフ『フランチェスカ・ダ・リミニ』
このテーマはオペラでも上演されています。
14分30秒 ダンテとウェルギリウスが登場
24分30秒 二人はフランチェスカとパオロの魂と出会う
27分47秒 パオロの兄・ジョバンニに恋人たちが殺害される場面の再現、二人が生前の場面へ移る
31分30秒 リミニの領主の息子ジョバンニは、ラヴェンナの領主の娘フランチェスカと政略結婚する
52分53秒 フランチェスカはジョバンニの弟パオロと恋に落ち、二人は不義をはたらくようになる
1:12:30秒 二人の関係に気づいていたジョバンニにより殺害され、地獄の第二の圏(たに)へ落ちる
いかがでしたでしょうか?
昨年の2021年は「ダンテ没後700年」ということで、様々なイベントが開催されましたが、700年も前に生きた偉人ダンテの存在は、一見遠く離れているように感じます。
しかし、『神曲』から着想を得た作品は数多あり、
実は私たちの身近なところにダンテは存在しているのです。
彼は逆境にも負けずに、生涯自分を貫き続けました。
そんな環境から生まれた『神曲』は、現代に生きる私たちにも勇気を与えてくれるのではないでしょうか。
皆さんもこの機会に、ダンテに触れてみてください。
最後に、ダンテが残した数々の名言の中から一節を。
「光を与えれば人は自ずと道を見つける」。
〈参考文献・サイト〉
◇ダンテ・アリギエーリ.『神曲』.谷口江里也訳.宝島社.1989年
◇村松真理子.『謎と暗号で読み解く ダンテ〔神曲〕』.角川書店.2013年
◇森永エンゼルカレッジ
ダンテフォーラム in 京都「芸術文化都市の戦略―フィレンツェの魅力・京都の魅力」
シンポジウム ダンテ『神曲』とイタリア・ルネサンス 講師:高階 秀爾氏
◇イタリア文化会館東京
『ダンテ700年を記念して~イタリアの詩聖とその文学を語る~ – 700 Anni di Dante Alighieri』
ジョルジョ・スタラーチェ駐日イタリア大使、東京大学大学院総合文化研究科村松真理子教授
『トーク 「ダンテ半生とその時代」 – Dante. L’uomo e la sua epoca』
歴史家アレッサンドロ・バルベーロ氏、イタリア文化会館館長パオロ・カルヴェッティ氏